| ヒトラー 独裁者の魅力++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ヒトラー 独裁者の魅力 | |
”偉大なる総統閣下”アドルフ・ヒトラー Adolf Hitler |
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| ■ミュンヘン蜂起 | ”栄光への道” |
| 1919年ミュンヘン国防軍第4軍団司令部のマイア大尉に軍の政治情報活動を命じられる。そしてある日訪れたのがドイツ労働者党で、それは当時幾多もあった小政党の一つに過ぎなかった。ここで演説の才能を見出し、党活動にのめりこみ、半年後には軍隊から除籍になる。1921年7月29日党特別集会を前に独裁権をもった第一委員長ポストを要求し、当日出席したミュンヘン支部党員から圧倒的な支持を受けて就任。ヒトラー32歳のときである。 同年党機関紙『フェルキッシャー・ベオバハター(民族の観察者)』には「わららが運動の総統」や「ナチ党総統」など”Fuehrer”という言葉が見られる。このころのNSDAPの運動は、突撃隊(SA、Sturmabteilung)抜きには語れない。後にエルンスト・レームの下、急拡大したSAだが、国防軍を掌握したヒトラーによってレームら幹部が大量に粛清されることになる。しかし、このころは、多くの民間や、社会民主党や共産党などの軍事下部組織と同様に、党の一民間軍事組織であった。 当初ヒトラーの警護や会場警備をしていたSAは1921年1月4日に正式設立された。上述のマイア大尉の後任エルンスト・レームの支援で軍から指揮官を提供されていた。その一人で、第一次大戦の空の英雄へルマン・ゲーリング元空軍大尉はSA司令官に起用されている。ゲーリングは後に帝国元帥にまで昇進しヒトラーのNo.2にのしあがった。 1923年1月11日、フランスはドイツが賠償の支払いに応じないことを理由に、ルール地方を占領した。これに対しレームはバイエルンの各軍事組織を統合して「祖国主義的闘争同盟協働団」の設立を提唱した。また1月27から29にかけて、初の全国党大会を実施している。党員は約1万5千人が集まり、「十一月の犯罪者」糾弾を行った。十一月の犯罪者とは、1918年11月の革命を推進した共和国の指導者たちのことである。 革命5周年の11月8日に、ビアホール「ビュルガーブロイラー」でのバイエルン国記念集会にSAとともに乗り込み恫喝をこころみるが、警官隊に阻止される。この蜂起によって、ヒトラーとレームらは逮捕され裁判にかけられる。ゲーリングは重症を負い海外に亡命している。裁判はミュンヘン国民法廷で行われたが、ヒトラーらの国民主義者の活動には非常に甘い判決が下されていた。一方で左翼の活動には厳しい判決が下っていた。 この裁判の過程で、ヒトラーは「十一月の犯罪者」、「ユダヤ人の政府」、「臆病と腐敗のベルリン体制」、「エーベルト化され堕落したドイツ」などと政治宣伝を行った。こうした裁判にも関わらず、判決は禁固5年ただし最初の6ヵ月に問題無ければ釈放というきわめて軽い刑であった。 |
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| ★《あなたの心の鉤十字(ハーケンクロイツ)をもっと正直に認め、堕落から解放されなさい》★ | |
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